#Music 「レコード大賞」の凋落

それは1985年の大晦日だった。
それまでのレコ大は、ザ・ベストテンで長く1位を取った曲(アーティスト)、特にその年の後半に特に長く1位を取った曲(アーティスト)がレコード大賞に選ばれていたし、そういう曲やアーティストが「実力がある」と思われていた。
話を1985年の大晦日に戻すと、その年は、私の記憶には無いけど、前半は中森明菜氏が長く1位を取ってたのかな?それすら記憶にない。
しかし後半は、安全地帯が盛り上がっていて、長く1位を取っていた、これはよく覚えている。
そこで、だ。
先にも書いた通り、それまでのレコ大は、特に後半に長く1位を取っていた曲(アーティスト)がレコ大を取るという慣例?があったし、私も安全地帯を応援していたから、当然、その年の大晦日も、今まで通り安全地帯がとるものだと信じて疑わなかったし、おそらく多くの人達もそう思っていたと思う。

しかし、結果は知ってる人は知ってる通り、中森明菜氏がレコ大を取った。
つまり、TBS側が自ら今までの慣例を破った訳だ。
私はがっかりするとともにTBSに憤りを感じた。

私の推測ではこうだ。
TBS側は、安全地帯にレコ大をあげたくなかった訳ではなく、中森明菜氏にあげたかった訳だ。
何故か?
おそらく、TBS側が、アイドル(人気)とか、事務所とか、おおよそ実力とは関係ない、ある意味実力とは180度真逆の何かに価値を感じ、そちらにおもねったというか、日和った訳だ。
私の推測が当たってるとすれば、何故その年TBSは実力とはある意味180度反対の方向に走ったのか、真相はよく分からないが、TBSとしては、その方が色々な意味で「おいしい」「価値がある」「今後も期待(アイドル事務所などからのサポートなどか期待出来るという意味で)出来る」などと思ったのではなかろうか。
つまり、TBSは自らの意思で自ら実力者を選ぶことを捨てたのだ。
私は大賞の発表を聞いたときに、がっかりしたと同時に「TBS日和ったな」と思い、その瞬間からTBSを実力者を選ばないんだと信用出来なくなった。
そして私はそれ以来レコード大賞を一切見なくなった。

それ以降のレコード大賞の在り方(地位や権威など)の成り行きは皆さんの知る通り。
地位も権威も色々なものが落ちぶれてしまった。
頑張って視聴者の信頼を取り戻そうとしているのだけど、全然取り戻せていない。
たらればを言っても仕方ないが、もし1985年の大晦日に、それまで通り実力(安全地帯)を選んでいたら、と思うと、個人的には残念でならない。
放送日が大晦日から12/30に変わったりなどしているので、1985年より前の、まだ地位や権威のあった状態に戻るのは恐らく無理だと思う。
TBSが相当努力すれば、もしかしたらと思うが、この今の音楽冬の時代に頑張っても、頑張りは視聴者にはなかなか届かないだろう。

1985年の大晦日の「たった一日」の判断が、ここまで大きく物事を変えるのだというのは、反面教師として何かの教訓として、自戒の念も込めて忘れずに覚え続けていきたいと思う(恐らく何かの役には立つだろうと思うから)。